真言宗の教え
真言宗の教え
ここでは真言宗成田山国分寺の修行でも学ぶ真言宗の教えについて述べていきます。
真言宗の開祖弘法大師は「大日経」「金剛頂教」の二つを根本的な経典としたうえで、さらに、教えの基礎作りのために「菩提心論」「真言宗の教えの内容について説明します。
真言宗の御本尊大日如来
大日如来は真言宗の御本尊で叡智そのものであり、根源の光そのものです。諸仏諸菩薩の総体の仏さまで、インドの言葉では「マハーヴァイローチャナ」といい、漢字で音訳すると、
宇宙にあまねく行き渡り、太陽のごとく闇を照らし、生きとし生けるものを育み、不断に永遠に私たちを支えてくれている偉大な力そのものが真言宗の御本尊大日如来なのです。大日如来の徳の現れかたにしたがって姿を変えて現れたのが多くの仏さまであり、菩薩です。したがってどの仏さまを拝んでも真言宗では大日如来を拝むことになります。大日如来は
真言宗の教判
真言宗の開祖弘法大師は「
さらに「秘密曼荼羅十住心論」「
以降、この「
真言宗における十住心
- 真言宗第一=「
異生羝羊心 」 - 欲望のままに生き、迷いの世界にある人は、物事の善悪をわきまえず、目の前の利益を見るだけです。自分の行いに責任を感ずることができず、迷いの世界にまぎれこんでいるので、「異生」といい、これが本能のままに生きる「小羊」の弱々しさに似ているので羝羊と表現します。
- 真言宗第二=「
愚童持斎心 」 - 社会論理を習い仏法の善を行うことによって、すぐれた人になろうと決心し、努力して得たものを他の人に施すなどの道徳に目覚めるこころを持ちます。・・・儒教思想
- 真言宗第三=「
嬰童無畏心 」 - 人の命のはかなさをなげき、死後、天に生まれることを願う心です。死後のために現在の生活の規律を正していきますが、この段階は、ほんの少しわざわいや、とらわれを離れている点では「無畏」ですが一時の安らぎにすぎず、悟りの楽しみはまったく得ていないので「嬰童」すなわち子供であるとします。・・・老荘思想(老子と荘氏が説いた思想。「無」を宇宙の根源とし、知や欲を働かせずに自然に生きることが良いとする。)・バラモン教の生天思想(天に生まれることを良いとする。)・インドの自然哲学など。
- 真言宗第四=「
唯蘊無我心 」 - 存在していると思い込んでいる「私」は、実は物質(色)とさまざまなこころの働きである。感受すること(受)・想い浮かべること(想)・意思を起こすこと(行)・識別すること(識)などが組み合わさっているだけのものであると悟るこころで、すべての存在は
五蘊 (色受想行識)が仮に和合して成り立っているとするので「唯蘊」とし、自我の実体は無なので「無我」とします。・・・声聞乗 (小乗仏教) - 真言宗第五=「
抜業因種心 」 - 苦しみの原因を考え、苦しみがどのように生じてくるのかを観察するこころで、悪業や煩悩の種である無明を抜き去り、無明の種も断じます。しかし、他者救済の手立てがなく、自分だけの苦を克服するにとどまります。・・・
縁覚乗 (小乗仏教) - 真言宗第六=「
他縁大乗心 」 - 人々の苦悩を救うという「利他のこころ」で、広大な大乗の悟りの世界に多くの人々を導きます。この全世界の生きとし生けるものを救うので「他縁」といい、自分も他人もともに悟りの世界に運ぶから「大乗」といいます。慈・悲・喜・捨の四無量心や布施・愛語・利業・同時の四摂事の実践をします。すべてのものを幻影と観じて、こころの働きのみが実在であるとします。・・・法相宗・唯識(大乗仏教)
- 真言宗第七=「
覚心不生心 」 - 私たちが存在すると思っていることはさまざまな原因と条件が関係しあって生じていると悟るこころです。海の「波」は「水」であるから起こります。水のない波は存在しません。このように、ものごとは他とのかかわりで存在していて、原因と条件によって生起したものはそれ自体の性質を持たないと悟るこころで、あらゆる現象の実在を否定します。・・・三論宗・中観(大乗仏教)
- 真言宗第八=「
一道無為心 」 - 唯一無二の絶対的真理を教え、その境地は人工人為を超越している、とします。・・・天台宗(大乗仏教)
- 真言宗第九=「
極無自性心 」 - あらゆる現象、あらゆる存在には各個別々の自性があるのではなく、一即一切、一切即一であって、万物は相互に関係して
融通無碍 である、とします。・・・華厳宗(大乗仏教) - 真言宗第十=「
秘密荘厳心 」 - 今までの心の中で、最も優れたこころ。第九住心では多くの関係が詰め込まれた宇宙全体を頭で考えるに過ぎません。しかし、ここでは「発心」(悟りに向かうこころ)と「三蜜行」(手に印を結び。口に真言を唱え、心は瞑想に住する)を行うことにより、宇宙の真理を体得し宇宙の象徴である大日如来と一体となります。このときの最高の安らぎが第十の心です。・・・真言密教
真言宗における即身成仏
真言宗の開祖弘法大師は唐からお帰りになった後、「即身成仏義」を著して、「即身成仏」という考えを提唱しました。「即身成仏義」は、真言宗の根本経典である「大日経」「金剛頂経」と、さらに、「菩提心論」に説かれた教えを基本として、弘法大師が示された密教の悟りです。
密教以外の教えは「
真言宗における法身説法
釈尊は説法する相手によってその内容を変えました。なぜならそれぞれの人によって、悩みが異なるからです。これを対機説法といいますが、その対機説法には釈尊の智慧があります。密教ではその智慧そのものを法身大日如来とし、その智慧が太陽の光のようにあらゆる時代、場所にさまざまな姿で現れて、すべての生き物を救うために説法をしているとします。宇宙間のすべての花鳥風月草木に至るまで大日如来の説法です。
真言宗の開祖弘法大師は、このような法身大日如来の説法を法身説法であるとしました
。
真言宗における三密
密教では私たちの行いを
- 身体上の行為
- ことばの行為
- こころの行為
真言と陀羅尼
古代インドの人々は神々に捧げる言葉を「マントラ」と言っていました。「マントラ」は「心の道具」という意味を持ち、「マントラ」は口に出しても出さなくても、心の働きをまとめるのに必要なものなのです。「マントラ」などを集めたものが「リグ・ヴェーダ」をはじめとした四ヴェーダのバラモン教聖典です。仏教にもマントラはたくさんありましたが、中国に伝える時「真言」という漢語に訳されました。マントラは仏さまの言葉です。私たちが日常使っている言葉は、実は宇宙全体の言葉のほんの一部にしかすぎず、しかも使い方が正しいとは限りません。私たちが使っている言葉は善い言葉もあれば悪い言葉もあります。しかし、仏さまの言葉は宇宙の声をそのまま常に真実だけを伝えるものですから「真言」と言うのです。真言はもともと、あらゆる思想や言葉を超越したものです。また、あらゆる思想や言語は、真言によって成り立つものですから、私たちが口に出して唱えられるものでなければならないのです。私たちは真言を唱えることによって宇宙の声に直接触れることができるのです。
真言宗の開祖弘法大師は「般若心経
「ダーラーニー」というインドの言葉を漢字で「陀羅尼」と書きますが、「マントラ」と同じものです。陀羅尼は「経を持する」という意味であり、「
一般的には、長いものを陀羅尼、短いものを真言といいます。
真言宗における曼荼羅
真言宗の別名を秘密曼荼羅宗ということからもわるように、曼荼羅は仏たちの単なる集合図ではなくそこに図絵された仏・菩薩は密教の教えを表現したものです。曼荼羅は密教の教えそのものといえます。
曼荼羅という語はサンスクリット語の音写文字で、意味は、円、円輪で、仏は円満で欠けることがないことから曼荼羅の語が使われました。
曼荼羅には中心があり、中心が定まってはじめて、あらゆるものが生み出されてきますが、その中心が真言宗の御本尊大日如来です。大日如来の緒徳の表れとしての緒尊が次々と生み出されてきます。
曼荼羅には「大日経」の、教えを図絵とした「
真言宗における阿字本不生
真言密教では法身大日如来を大日如来の種子である「阿」字で表し、法身大日如来の現れである世界の万物は不生不滅、無始無終(始まりもなく終わりもない)であることを「本不生」と表現します。このことを自然現象に喩えて説明しますと、海の水は、太陽の熱で熱せられて水蒸気となり、やがて雲となります。雲は雨を降らし、雨は川に流れ、川はひっきりなしに海に水をそそぎこみます。しかし、海の水が特別に増加するわけではありません。海水は蒸発して雲になるからです。地球全体から見れば水の量は減ることもなく増えることもなく、雲、雨、川の水、海の水、どれが始まりで、どれが終わり、ということもありません。このような真理を真言宗では「本不生」というのです。
真言宗における加持
初期の仏教経典や大乗経典で説く「加持」とは、「仏、菩薩が衆生を守護し教化し指導する目的で、慈悲心から超自然的な現象を生ぜせしめること」です。密教では如来の不思議な力の働きで、如来が私たちに働きかけるのを「加」、私たちが如来の働きかけに応じて感じ取るのを「持」といいます。弘法大師は「即身成仏義」で「加持とは如来の大悲と人の信心を表して」いる。あたかも太陽の光のような仏の力が、人々の心の水に映じ現れているのを「加」といい、真言密教の修行者の心を水に喩えて、その仏の日を感じ取るのを「持」と名づける」と説き、真言宗の即身成仏の導きとしています。真言宗成田山国分寺の祈祷が加持祈祷といわれるゆえんです。
真言宗と大日経
「大日経」は、略称であって、正式には「
真言宗と金剛頂経
「金剛頂経」という単独の経典があるのではなく、「金剛頂経」に類する経典群の総称です。もとは十八会にわたって説かれたので「十八会」といい、十万
- 「
通達菩提心 」で自分の心は月輪 であると観じます。 - 「修菩提心」で自分の心は本来清浄であると悟ります。
- 「
成金剛心 」で心の中の月輪の中に金剛杵の形を観じます。 - 「証金剛身」で大日如来が行者の中に入り、灌頂を受けて金剛薩捶となります。
- 「仏身円満」で行者と如来が一体となり行者の身に仏身が完成します。
真言宗と理趣経
わたしたち真言宗成田山国分寺でも唱えられています。「
また、経典は一般には呉音で読みますが「理趣経」は通常漢音で読みます。
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