永代供養の真言宗成田山国分寺インスタグラム

真言宗の教え

真言宗の教え

 ここでは真言宗成田山国分寺の修行でも学ぶ真言宗の教えについて述べていきます。

 真言宗の開祖弘法大師は「大日経」「金剛頂教」の二つを根本的な経典としたうえで、さらに、教えの基礎作りのために「菩提心論」「釈摩訶衍論しゃくまかえんろん」を重視し必修の書としてしばしば引用しながら、自信の厳しい修行と深い思索による裏づけのもとに、真言宗のその教えを示しました。
真言宗の教えの内容について説明します。

真言宗の御本尊大日如来

 大日如来は真言宗の御本尊で叡智そのものであり、根源の光そのものです。諸仏諸菩薩の総体の仏さまで、インドの言葉では「マハーヴァイローチャナ」といい、漢字で音訳すると、摩訶毘盧遮那如来まかびるしゃなにょらいといいます。釈尊が菩提樹下で完成した最高の叡智を「すぐれてあまねく光」と表現しますが、真言宗ではこの根源の光を「大日如来」として御本尊とします。
 宇宙にあまねく行き渡り、太陽のごとく闇を照らし、生きとし生けるものを育み、不断に永遠に私たちを支えてくれている偉大な力そのものが真言宗の御本尊大日如来なのです。大日如来の徳の現れかたにしたがって姿を変えて現れたのが多くの仏さまであり、菩薩です。したがってどの仏さまを拝んでも真言宗では大日如来を拝むことになります。大日如来は悉曇しったん文字(6世紀〜7世紀に中央インドで用いられた書体)でと書きます。これは種子といい、文字そのものが仏さまなのです。真言宗成田山国分寺で戒名を受けた位牌の上部には大日如来の種子である梵字の阿を記します。

真言宗の教判きょうはん

 真言宗の開祖弘法大師は「弁顕密二教論べんけんみつにきょうろん」により、仏教の教えを釈尊が人々の能力に応じて説いた教え(対機説法)である顕教と、真言宗の御本尊大日如来が自らの秘密を明らかにして説いた教えである密教とに分類し、密教が勝れていることを主張しました。これを「おうの教判」と言います。
 さらに「秘密曼荼羅十住心論」「秘蔵宝鑰ひぞうほうやく」において、仏を求めて発展向上していくこころを十段階に分析し、この十段階に当時の思想をあてはめて、真言密教(真言宗)を最高の教えであるとしました。これを「しゅの教判」といいます。
以降、この「しゅの教判」について説明します。

真言宗における十住心

真言宗第一=「異生羝羊心いしょうていようしん
欲望のままに生き、迷いの世界にある人は、物事の善悪をわきまえず、目の前の利益を見るだけです。自分の行いに責任を感ずることができず、迷いの世界にまぎれこんでいるので、「異生」といい、これが本能のままに生きる「小羊」の弱々しさに似ているので羝羊と表現します。
真言宗第二=「愚童持斎心ぐどうじさいしん
社会論理を習い仏法の善を行うことによって、すぐれた人になろうと決心し、努力して得たものを他の人に施すなどの道徳に目覚めるこころを持ちます。・・・儒教思想
真言宗第三=「嬰童無畏心ようどうむいしん
人の命のはかなさをなげき、死後、天に生まれることを願う心です。死後のために現在の生活の規律を正していきますが、この段階は、ほんの少しわざわいや、とらわれを離れている点では「無畏」ですが一時の安らぎにすぎず、悟りの楽しみはまったく得ていないので「嬰童」すなわち子供であるとします。・・・老荘思想(老子と荘氏が説いた思想。「無」を宇宙の根源とし、知や欲を働かせずに自然に生きることが良いとする。)・バラモン教の生天思想(天に生まれることを良いとする。)・インドの自然哲学など。
真言宗第四=「唯蘊無我心ゆいうんむがしん
存在していると思い込んでいる「私」は、実は物質(色)とさまざまなこころの働きである。感受すること(受)・想い浮かべること(想)・意思を起こすこと(行)・識別すること(識)などが組み合わさっているだけのものであると悟るこころで、すべての存在は五蘊ごうん(色受想行識)が仮に和合して成り立っているとするので「唯蘊」とし、自我の実体は無なので「無我」とします。・・・声聞乗しょうもんじょう(小乗仏教)
真言宗第五=「抜業因種心ばつごういんじゅしん
苦しみの原因を考え、苦しみがどのように生じてくるのかを観察するこころで、悪業や煩悩の種である無明を抜き去り、無明の種も断じます。しかし、他者救済の手立てがなく、自分だけの苦を克服するにとどまります。・・・縁覚乗えんがくじょう(小乗仏教)
真言宗第六=「他縁大乗心たえんだいじょうしん
人々の苦悩を救うという「利他のこころ」で、広大な大乗の悟りの世界に多くの人々を導きます。この全世界の生きとし生けるものを救うので「他縁」といい、自分も他人もともに悟りの世界に運ぶから「大乗」といいます。慈・悲・喜・捨の四無量心や布施・愛語・利業・同時の四摂事の実践をします。すべてのものを幻影と観じて、こころの働きのみが実在であるとします。・・・法相宗・唯識(大乗仏教)
真言宗第七=「覚心不生心かくしんふしょうしん
私たちが存在すると思っていることはさまざまな原因と条件が関係しあって生じていると悟るこころです。海の「波」は「水」であるから起こります。水のない波は存在しません。このように、ものごとは他とのかかわりで存在していて、原因と条件によって生起したものはそれ自体の性質を持たないと悟るこころで、あらゆる現象の実在を否定します。・・・三論宗・中観(大乗仏教)
真言宗第八=「一道無為心いちどうむいしん
唯一無二の絶対的真理を教え、その境地は人工人為を超越している、とします。・・・天台宗(大乗仏教)
真言宗第九=「極無自性心ごくむじしょうしん
あらゆる現象、あらゆる存在には各個別々の自性があるのではなく、一即一切、一切即一であって、万物は相互に関係して融通無碍ゆうずうむげである、とします。・・・華厳宗(大乗仏教)
真言宗第十=「秘密荘厳心ひみつしょうごんしん
今までの心の中で、最も優れたこころ。第九住心では多くの関係が詰め込まれた宇宙全体を頭で考えるに過ぎません。しかし、ここでは「発心」(悟りに向かうこころ)と「三蜜行」(手に印を結び。口に真言を唱え、心は瞑想に住する)を行うことにより、宇宙の真理を体得し宇宙の象徴である大日如来と一体となります。このときの最高の安らぎが第十の心です。・・・真言密教

真言宗における即身成仏

 真言宗の開祖弘法大師は唐からお帰りになった後、「即身成仏義」を著して、「即身成仏」という考えを提唱しました。「即身成仏義」は、真言宗の根本経典である「大日経」「金剛頂経」と、さらに、「菩提心論」に説かれた教えを基本として、弘法大師が示された密教の悟りです。
 密教以外の教えは「三劫成仏さんごうじょうぶつ」といい、無限に長い間の修行によらなければ成仏できないとしますが、密教ではただちに、この身このまま、「即身」に、「成仏」が実現できるとします。なぜなら、私たちと仏さまは本来同じであるからです。そしてその本来成仏している自己の発見を「即身成仏」という言葉で表したのです。

真言宗における法身説法

 釈尊は説法する相手によってその内容を変えました。なぜならそれぞれの人によって、悩みが異なるからです。これを対機説法といいますが、その対機説法には釈尊の智慧があります。密教ではその智慧そのものを法身大日如来とし、その智慧が太陽の光のようにあらゆる時代、場所にさまざまな姿で現れて、すべての生き物を救うために説法をしているとします。宇宙間のすべての花鳥風月草木に至るまで大日如来の説法です。
真言宗の開祖弘法大師は、このような法身大日如来の説法を法身説法であるとしました 。

真言宗における三密

密教では私たちの行いを

  1. 身体上の行為
  2. ことばの行為
  3. こころの行為
と分けて考え、「身口意」の三密とします。仏の身密は宇宙の全体的活動であり、仏の口密は宇宙のあらゆる言語音声上の活動であり、仏の意密は宇宙における一切の精神活動を指します。このような宇宙の活動は、大日如来そのものの活動にほかならないと説くのが密教です。私たち衆生の三密は、手に印を結び(身密)、口に真言を唱え(口密)、意は三摩地に住する(意密)ということで、この私たち衆生の三密と仏の三密が一体となっていく境地を真言宗では三密加持と表現します。

真言と陀羅尼だらに

 古代インドの人々は神々に捧げる言葉を「マントラ」と言っていました。「マントラ」は「心の道具」という意味を持ち、「マントラ」は口に出しても出さなくても、心の働きをまとめるのに必要なものなのです。「マントラ」などを集めたものが「リグ・ヴェーダ」をはじめとした四ヴェーダのバラモン教聖典です。仏教にもマントラはたくさんありましたが、中国に伝える時「真言」という漢語に訳されました。マントラは仏さまの言葉です。私たちが日常使っている言葉は、実は宇宙全体の言葉のほんの一部にしかすぎず、しかも使い方が正しいとは限りません。私たちが使っている言葉は善い言葉もあれば悪い言葉もあります。しかし、仏さまの言葉は宇宙の声をそのまま常に真実だけを伝えるものですから「真言」と言うのです。真言はもともと、あらゆる思想や言葉を超越したものです。また、あらゆる思想や言語は、真言によって成り立つものですから、私たちが口に出して唱えられるものでなければならないのです。私たちは真言を唱えることによって宇宙の声に直接触れることができるのです。
 真言宗の開祖弘法大師は「般若心経秘鍵ひけん」という書物の中で、「真言は不思議である。それを唱えれば迷いがなくなる。真言の一字一字に多くの真理が含まれている。したがって、、この身このまま、その場において宇宙の真理を体験することができる。」と説いております。
 「ダーラーニー」というインドの言葉を漢字で「陀羅尼」と書きますが、「マントラ」と同じものです。陀羅尼は「経を持する」という意味であり、「総持そうじ」とも訳されます。五感を制御して精神を統一した状態をいい、そのために用いる言葉のことでもあります。
 一般的には、長いものを陀羅尼、短いものを真言といいます。

真言宗における曼荼羅

 真言宗の別名を秘密曼荼羅宗ということからもわるように、曼荼羅は仏たちの単なる集合図ではなくそこに図絵された仏・菩薩は密教の教えを表現したものです。曼荼羅は密教の教えそのものといえます。
 曼荼羅という語はサンスクリット語の音写文字で、意味は、円、円輪で、仏は円満で欠けることがないことから曼荼羅の語が使われました。
 曼荼羅には中心があり、中心が定まってはじめて、あらゆるものが生み出されてきますが、その中心が真言宗の御本尊大日如来です。大日如来の緒徳の表れとしての緒尊が次々と生み出されてきます。
 曼荼羅には「大日経」の、教えを図絵とした「胎蔵生曼荼羅たいぞうしょうまんだら」と「金剛頂経」の教えを図絵とした「金剛界曼荼羅」があります。これを両部曼荼羅りょうぶまんだらといいます。真言宗寺院の本堂等に奉安する場合は、「右金左胎うこんさたい」といい、御本尊の方から外陣の方を見て、右に金剛界曼荼羅、左に胎蔵生曼荼羅をお祀りします。

真言宗における阿字本不生あじほんぶしょう

 真言密教では法身大日如来を大日如来の種子である「阿」字で表し、法身大日如来の現れである世界の万物は不生不滅、無始無終(始まりもなく終わりもない)であることを「本不生」と表現します。このことを自然現象に喩えて説明しますと、海の水は、太陽の熱で熱せられて水蒸気となり、やがて雲となります。雲は雨を降らし、雨は川に流れ、川はひっきりなしに海に水をそそぎこみます。しかし、海の水が特別に増加するわけではありません。海水は蒸発して雲になるからです。地球全体から見れば水の量は減ることもなく増えることもなく、雲、雨、川の水、海の水、どれが始まりで、どれが終わり、ということもありません。このような真理を真言宗では「本不生」というのです。

真言宗における加持かじ

 初期の仏教経典や大乗経典で説く「加持」とは、「仏、菩薩が衆生を守護し教化し指導する目的で、慈悲心から超自然的な現象を生ぜせしめること」です。密教では如来の不思議な力の働きで、如来が私たちに働きかけるのを「加」、私たちが如来の働きかけに応じて感じ取るのを「持」といいます。弘法大師は「即身成仏義」で「加持とは如来の大悲と人の信心を表して」いる。あたかも太陽の光のような仏の力が、人々の心の水に映じ現れているのを「加」といい、真言密教の修行者の心を水に喩えて、その仏の日を感じ取るのを「持」と名づける」と説き、真言宗の即身成仏の導きとしています。真言宗成田山国分寺の祈祷が加持祈祷といわれるゆえんです。

真言宗と大日経

 「大日経」は、略称であって、正式には「大毘盧遮那成仏神変加持経だいびるしゃなじょうぶつじんぺんかじきょう」といいます。「大日如来が不可思議なはたらきをもつ力をわたしたちに加えて、(加持)、この現世にこの身このままで成仏ができることを説いた経」という意味です。  この中で、「三句の法門」(「菩提心を因となし、大悲を根とし、方便を究竟とす。」仏さまは悟りに向かう心を原因とし、大いなる慈悲の心を根本とし、実際的な修行を最高とする)・「如実知自心にょじつちじしん」(「菩薩さとりとは何か」との金剛薩薩の問いに「ありのままに自分の心を知ることである」と大日如来が答えた。)など密教の大切な教えが説かれています。成立は六世紀前半です。「大日経」は理論部門(教相)と実践部門(事相)とに分かれています。

真言宗と金剛頂経こんごうちょうきょう

 「金剛頂経」という単独の経典があるのではなく、「金剛頂経」に類する経典群の総称です。もとは十八会にわたって説かれたので「十八会」といい、十万じゅという膨大な経典だったといわれています。現存するものはいわゆる初会しょえ(最初に説かれた)に相当する部分です。  「即身成仏」を実現する実修法として「五相成身観ごそうじょうしんかん」という観法を説き、その実修によって得られた悟りの世界を描いたのが「金剛界曼荼羅」です。五相成身観とは、

  1. 通達菩提心つうたつぼだいしん」で自分の心は月輪がちりんであると観じます。
  2. 「修菩提心」で自分の心は本来清浄であると悟ります。
  3. 成金剛心じょうこんごうしん」で心の中の月輪の中に金剛杵の形を観じます。
  4. 「証金剛身」で大日如来が行者の中に入り、灌頂を受けて金剛薩捶となります。
  5. 「仏身円満」で行者と如来が一体となり行者の身に仏身が完成します。

真言宗と理趣経りしゅきょう

 わたしたち真言宗成田山国分寺でも唱えられています。「大楽金剛不空真実三摩耶経だいらくこんごうふくうしんじつさんまやきょう」「般若波羅蜜多理趣品はんにゃはらみたりしゅほん」が正式名称で、不空の訳です。真言宗の御本尊大日如来が金剛薩捶のために、人間的な弱点である愛欲や欲望を否定することはできなく、それをありのままの状態で価値転換するときに万物はその本質においてけがれがなく、静寂であり、思慮分別を超越している、と説きます。「理趣経」は内容が現実を肯定し、欲望を是認しているように解釈されたり、性行為を比喩的に用いているため、未熟な者が誤解する材料にもなりましたが、実際は密教の本旨である即身成仏(人間の存在そのものが理想態であるという考え方)を明確に述べた経典です。真言宗の常用経典ですが、奈良の諸宗でも読誦されています。
 また、経典は一般には呉音で読みますが「理趣経」は通常漢音で読みます。

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